津々浦々にて待つ

思いついた愚痴をうららかに書き始めるから、結びがぐだる

楽園追放

 あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します😍😍

 2015年ですね。BTF2の年ですよ。ホバーボードはまだ無いですけど。なんか未来感すごいですねえ。就活に院試に実習に、各々忙しく大事な1年になると思いますが頑張っていきましょう。
 長い学生生活という名のモラトリアムも終わりに近づき、いよいよ社会に参加するとなると、ワクワクな気持ちよりも鬱な気分のほうが強いです。ああ、いよいよ責任を持って社会に貢献していかなければならないんだなあ、と。

 免許を取得し、二十歳になり、成人式に参加してもなお『大人』になったな、という実感はあまり湧いてきませんでした。アルバイトを始め、酒をのみ、タバコを吸っても、果たして自分は『大人』なのか、と。かつては『大人』になるための風習や儀式があるのが当たり前?で、日本でいえば元服、どっかの民族だとバンジージャンプや割礼(このスマホだと一発変換出来ないぞクソ!!)が成人の証とされていたとかいないとか。確かに、成人式というものは存在しますが、実質同窓会みたいなものですしね。
 とまあ、こんな話は高校受験や大学受験の国語の問題にもなるようなメジャーな話題で、散々話し尽くされてきたことなんですけどね。しかし、やはり自分が社会に出ようというときになると、そんなことを考えたりもするものです。

 こどもと大人の境界はあいまいで、そしてたとえ『大人』と思われているような人でも、中身は『こども』のままな人も多いです。ひとまず自分のことは思いっきり棚上げしますが、世の中ロクな人間はいません。たいていはどうしようもない人間ばかりです。子供のころは、大人は雲の上のようなものだと思っていましたが、最近は歳喰ってるだけな方ばかりなんだなあ、と思います。もちろん、素晴らしい方もいるんですけれどね。
 
 あー、あと、最近現実味を帯びてきたというか、若干考えるようになったことは、自分が親になれるのかということですね。そもそも、結婚出来る相手がいないだろ!という声が聞こえてきそうで、まあおっしゃる通りなんですが。だてに、高校2年の他己紹介で『結婚できなさそう』って書かれてませんしね(誰だよ書いたやつ。未だにわからんぞ)。自分が『大人』かどうかもわからないのに、子供を育てることなんて出来るのですかね。

 なんだかんだ自分をここまで育てた親はすごいなーと思うこの頃。


追記 おみくじは吉と小吉でした。あと、大国魂神社って縁結びの神様らしいですよ。これは!、、。

マイノリティ、テロリズム

 クリスマスどうでした?今年も残すところあと僅かですね。こんばんは。
 女の子のケツを触りながらイルミネーションを見てメリクリする(なんかメリクリってちょっとエロくない?)野望は、ついに今年も成就することなく、クリスマスの夜にご飯でも食べようと思っていた友人には『女の子と用事あるから!すまんな!』とフラれてしまいました。けれど、それなりに楽しかったです。

 最近、てわけでもないんですけど、イギリスのどっかのスーパーで同性カップルがキスをしていたら、悪影響だなんだと言われて追い出されたことが発端で、他の同性カップル店に押し掛けてチューをして抗議するってなことがありました。(詳しくは→ http://blog.livedoor.jp/namahamu114/archives/1012607787.html
ソース元でも言われているように、日本と英国では文化が異なるし(どっちが良いかは知らんが)、今までは口出しされることはなかったというのですから、確かに理不尽な扱いを受けたと言えなくもないです。
 しかし、いくら抗議のためとはいえ、スーパーに大挙して押し寄せ店内でキスしまくるというのは異常じゃないでしょうか。欧米はこういうことに煩そうな社会だとは思っていましたが、ここまで日本と解離しているのは面白いですね。最近、こういうマイノリティの人権(広い意味での)を認めていこうという風潮の高まりを感じます。日本でも、ゲイのカップルが結婚式をあげたとか、レズのカップルが啓蒙(?)をしていくみたいな記事を見かけました。まあ、差別や偏見をなくしていこうという試みは悪いことではないと思います。しかし、たまにこういったナリフリ構わないようなことをするのはいかがなものなのでしょう。マイノリティは虐げられる側だから、多少メチャクチャなことをしても良いでしょ、みたいな発想なのでしょうか。やってることテロと似たり寄ったりじゃないですか。かといって、何か良い代替案があるのかと言われればとくにないんですけどね。
 個人的に同性愛とかそういうマイノリティに寛容じゃない保守チックな人間なので批判的に見てしまうという面も大いにあります。みなさんはどう考えますかね。


おまけ
 差別や偏見はいけないことだとされていて、僕もそれはいけないと思っています。一方で、それはつまり、何事にも寛容でないといけないということなんでしょうか。ゲイやレズに対して嫌悪感を抱いてはいけない。ムスリムやクリスチャン、新興宗教や共産主義者を異常なものだと考えてはいけないということなんでしょうか。どー~~なんですかね~~むずかしいですね~~┐(´д`)┌

追伸 近々大掃除します。。。

カツカツ

 最近、小さな物音が気になるようになってきました、こんばんは。早朝、父親が支度をしている音、夜、母親がドライヤーを使っている音。そういった些細な音に敏感になりつつあります。なんですかね、ストレスですか??
 
 そのなかでも、最近、というか前から気になっていた物音に『ハイヒールの足音』があります。カツカツ。カツカツカツカツ。例えば、講義の途中に入室して前方のレジュメを取りに行くときに、カツカツ。自習室で勉強していると通りすぎざまに、カツカツ。咳やクシャミの音、むしろ小さな話し声すら気にならないのに、なぜかハイヒールの音だけイライラしてしまいます。カツカツ。なぜなんでしょうか、、。

 まあ、何となく思うのは、単に馴染みが無いからだと思います。自分がヒールを履くことはないし、周りにもヒールを履く人があまりいないので慣れてないんですね。だから気になってしまうのかと。ってことは、女の人は他人のカツカツ音が気にはならないんですかね?聞いてみたいところです。

 音が気になるといえば、よく話題に上がるのは咀嚼音(クチャラー)とか電車内の通話などですかね。咀嚼音は本人が自覚して治そうとしないと治らないと思います。本人にそれを指摘してもらえるような人がいればよいのですが、、。電車内の通話に関しては、、、なぜいけないんでしょうか?一説によると、人は自分のわからない話をされるとイライラするらしいです。つまり、電話だと会話が一方しか把握できないので、無意識にイライラするんだとか。ふーん。まあ、無用なトラブルを避けるためにも通話は遠慮したほうが懸命ですね。

追伸 自分でいうのもなんですけど、僕は歩く音が小さいです。昔読んだ児童向け忍者小説に影響されて、一時期忍のようなサイレントウォーキングの訓練をしていたからです。

夢買人 beautiful dreamer

 なんだこの行列は?!と思って近づいてみると、『年末ジャンボ最終日で~~す』との声が聞こえた。なるほど、今日は一等前後賞総額7億円?の年末ジャンボの販売最終日なのであった。つたない記憶を辿ってみると、小学校低学年の頃に宝くじを買ったような記憶があるが、それ以降はない。当事は(今も?)一口300円で、なかなか高いものだと思った。宝くじとは損をするように出来ているものだ!と学んだのは確率を習った中学生のころで、それ以降はなんとなく、宝くじを買うのは金の遣い道に困ったものや娯楽の乏しいものがやるものなんだと考えていた。可愛くない子供である(可愛い中学生男子というもの自体が稀ではあるが)。わが家も宝くじを買う習慣はないので、その考えは揺らぐことなく今に至る。
 まさか、本当に当てるつもりで宝くじを買っているものは居ないだろう。ヤミ金に追いつめられてなけ無しの金を宝くじにつぎ込む人は考えられない。宝くじを買う人というのは、ホンの少しの希望を買っている、と思う。当たるか当たらないか、その期待感にこそ価値を見出だしているのだろう。それで、何等かに当たれば儲けものと考える。ただ、ぼくは運をバランスで考える人間、つまりは悪いことがあれば良いことが起こると信じ、良いことがあれば悪いことが起きるかもしれないと思ってしまうので、万が一宝くじが当たった日には怖くて家から出られないかもしれない。
 宝くじをちょっとひねくれて考えてみると、他者を押し退けて自分が利を得るイベントではないだろうか。自分はたまたま当選して、他の人は単に損をして終わる。自分さえ良くて、他人はどうでもいい。宝くじを買う人は何となくそう思っているのだろうか。
 まあ、それは冗談として、僕は宝くじにそれほど興味を抱かない人だが、何も宝くじを否定しているわけではない。むしろ、良いものだと思っている。国が公認で賭博を管理することで、ガス抜きにもなるし悪いことも起こりにくい。それに、宝くじの余剰金によって施設や橋が作られたりして一種の再分配になっていると思う。良いことである。
 そうそう、宝くじといえば、昔足立区の図書館でたまたま手に取ったSF短編集の中に、宝くじにまつわる話があった。その話では、宝くじの賞品がお金ではなく寿命なのである。70歳になると何処かの施設に連れていかれてしまうという設定で、宝くじに当選すると幾年かそれが延長されるというシステムだ。なかなか面白かった思い出がある。さらに話がずれるが、同じ短編集のなかに、当事の僕に衝撃を与えた作品があった。ぜひ興味のある方は読んでその感想を聞かせてほしい。『電話が鳴っている』とかそんな題名。
 にしても、宝くじ売り場の行列が凄かったので、こんなにも宝くじを買う人はいるのか~~と軽くカルチャーショックだった。僕もお金に余裕が出来たらチャレンジしてみようか。


追伸 当たったらバイクがほしいです。あと、車。er4nとレガシィb4ください。

タバコを吸う女

 『タバコを吸う女と洋楽を聞く女、そしてバイクに乗る女は男の影響だから。』なんてことを昔どこかで耳にしたことがある。言われてみればそんな気がしなくもないような、、という風に思われるかもしれないが、女性蔑視?なのかはさておき、まあ、偏った考えではある。逆の例を挙げるとすれば、ディズニーにやたら詳しい男であろうか(笑)。
 洋楽とバイクの話はちょっと置いておき、喫煙について考えてみると、男性の喫煙率30.3%に対して女性の喫煙率は9.8%であるから、割合でいえば(まあ、数もなんだけど)男性喫煙者の方が大分多い(JT のデータよりhttp://www.health-net.or.jp/tobacco/product/pd090000.html)。
 現代社会では、喫煙は忌み嫌われている。施設の禁煙、分煙化は留まるところを知らず、禁煙外来のCMが毎日目に飛び込んでくる。まあ、実際、喫煙が健康に害することは今や周知の事実なわけであるし、そもそも喫煙をするような物好きは、ロクな人間でないことが多いわけであるから(笑)喫煙が嫌われるのも当然だろう。しかし、そのなかでも、男性の喫煙はまあ許容されていることが多いのに、女性の喫煙に対する態度は厳しいように思われる。タバコを吸う男を弾く女よりも、タバコを吸う女を弾く男の方がだいぶ多い印象を受ける。なぜなんだろう。
 まず思うのは、ダイレクトに容姿に影響するからだろうか。喫煙が老化を促進させるのはいくつもの研究でわかっていることだろうが(あやふや、出典めんどい)、なんというか男の場合は多少シワが増えたりシミができたり歯が汚くなったとしても、そこまで気にされることは無いような気がするが、女性の場合はそうもいかないんじゃないかなあ。だから、化粧とかアンチエイジングの文化は女性のものとなっているわけだし。
 次に思うのは、まあこの話がしたかったわけだども、『妊娠』があるから、である。妊婦は酒を控えるとか食生活に気をつけるだとか色々あるが、喫煙も節制しなくてはならないとされている。実際、妊婦の喫煙は胎児に影響ありとされているし(またもや出典なし)、妊婦が喫煙している光景を見たら、かなりの人がマイナスの感情を抱くだろう。またさらに、妊娠後でも女性の喫煙への風当たりは強いと思う。それは、子供と接触している時間が相対的に男性より長いからだ。やはり、喫煙(この場合は副立煙)は子供にとって害であるから、母親はタバコを吸ってはならないとされるのである。
 ただ、じゃあ、子供を持つ女はタバコを吸ってはいけないのか?差別じゃないのかという話にもなるし、不平等じゃないの?ということになる気もする。でもやっぱり、小さい子をつれた母親が子供を喫煙所の外に待たせてタバコを吸っている光景や、居酒屋に子供を連れてきているのを見ると、なんとなくモヤモヤした気持ちにもなるのである。という気持ちをさっきも、駅前の喫煙所で抱いたのであった~~(-。-)y-~




追伸 最近、トイレの鏡で髪型をセットしている男の子の後ろを通るとき、鏡越しに目を合わせながら満足気に頷くっていう遊びが流行ってます(自分のなかで。)

 

3年目の彼氏とテニサーの男友達

 先日、久々に回転寿司に行ったら注文のやり方や皿の受け取り方が分からなくてテンパってしまいました。こんばんは。日曜の夜に行ったんですが、50分待ちでしたよ!人気すごいんですね、、。

 男女間での友情は成立するのか云々という話は、人類有史、1億と2千年前からされているわけですが、つまるところはケースバイケース、その当事者によるわけです(元も子もないが)。それが一番問題になるのは、カップルで『恋人が異性の友達と二人で飲みに(遊びに)行くのはいいのか』のときだと思います。さすがに、男のいる飲み会には行ってはいけないとか、女の子のいるサークルの旅行はダメ、とかは束縛が強いと思うので除くとします。まあ、酷い話になると、男とLINEしてはならないとか電話帳から女の名前が母親以外消えたなんてあるみたいですけどね。こわいこわい。
 話を戻して。なぜそういうことをしてはいけないかを考えてみたいと思います。①『嫌だから』 理屈じゃなく嫌なものは嫌だということですね。この場合はどうしようもありません。理由が有って無いようなものなので。相手の理解を得られなければ諦めましょう。②『心変わりが怖い』 もしも、仲の良い定期的な交流のある異性が居たのならば、そちらに気持ちが移ってしまうことを避けたいということですね。実際に、人間は定期的な接触のあるものに親近感を覚えて愛情が芽生えるとか云々。遠くの美人、イケメンより近くの人です。③『浮気の回避』 一言で浮気といっても、それこそ人それぞれ定義が異なるのでなんとも言えませんが。一緒に出掛けたら、手を繋いだら、キスをしたら、ホテルに泊まったら。そういうことを避けるために、そもそも事前に可能性を潰しておくということです。確かに、酔った勢いで、、、とか、友達関係ではあるけど寝た、、ってことはザラにあるみたいですから。とくに、パートナーが人気ありそうな人だと心配だろうと思います。
 合コンや飲み会が増える季節で心も浮わつくしチャンスも増えます(笑)束縛しすぎるのは問題ですが、かといって知らぬ間においてけぼりになっていることもあるかもしれません。


彼氏持ちの女の子とLINEで合コンの約束をやりとりしていたら、その子の彼氏から『お前誰だ』って連絡が来た友人もいたので気をつけましょう。。美人局パターンもあるやで。

カーリマン

 今日は前から集めている漫画の、20年ぶりの新刊の発売日ということで朝から上機嫌だったのですが、刑訴の答案返却で心挫かれております。こんにちは

 最近、自分には何があるのだろうか、といったことを考えなくもないです。趣味は、、、と聞かれても、強いて言うなら『読書』『映画鑑賞』なんて答えるわけですが、読書だってたまに小説や新書を読むくらいだし、映画鑑賞にしたって最近はDVDレンタルも映画館に足を運ぶのも月に一度くらいなもので。それに、映画について小津がどうのとか何がモチーフやオマージュになってるとかはあまり考えてもおらず。小さい頃からとある武道を続けてはいるものの、高校以降は強くもなく弱くもなく、大学入学後はまったくやっていないし。『勉強』にしたって、公立にいた義務教育期間はそれなりに優越していたかもしれないが、それも高校入学と共になくなり。
果たして、自分には何があるのだろうか

 自分は、他とは違う。何者かになりたい、何者かであるはずだ、という意識は、程度の差はあれど誰しもにあると思う(これがいわゆる自己承認欲求なのかな?)。それをどう解消するかは個々によるわけで、親、恋人といったものからの承認によって満足を得る。サークルや部活、NPONGOといった団体に自らの居場所を求める。SNSを使って孤独を慰め合う。現代では、イエ制度の衰退、核家族・単身世帯の増加で人間の孤別化が進んでいると思う。しかし、一方でインターネットやSNSの発展で簡単に人と人とが繋がれる。寂しいから、より承認欲求が強まるのだろうか。

 サークルでウェイウェイ(不適切表現かもしれないが)してる彼や合コンに精を出す彼女、好きなものをたくさん買ってもらえる君や、ドアの陰で乳操りあってるカップル、目の上ブルーなおばさんも、そんなことを考えているのだろうか。もし皆が漠然とした不安感・孤独感を持っているのなら、その事実が慰めとなる。

こんなクソみたいなことをクヨクヨ考えるのは、就職への不安や刑訴のテストが悪かったせいなわけで、美味しいものを食べて快眠すれば、綺麗サッパリするのだ。