津々浦々にて待つ

思いついた愚痴をうららかに書き始めるから、結びがぐだる

0.02㎜の安全境界

雪降ってます。寒いですね

http://kidan-m.com/archives/32060772.html
 要約すると、中1の娘がひとつ上の先輩と自宅のベットで性行為に及んでいてショック、みたいな話。
 この中でスレ主(父親)が『早すぎるし、自分で責任がとれるようになってからにしてほしい』という趣旨のことを言っています。今回の件では、しっかり避妊をしていたようですが。なるほど、確かに中1での性交経験は早すぎるような気もします。しかし、では、何歳ならば良いのでしょうか。
 『責任がとれる』とはどう定義されるのか。避妊に失敗しても『責任』がとれるということなのか。つまりそれは、子供が出来ても産み育てる覚悟(または堕胎するつもり)があるということなのでしょうか。
 仮にそれを定義とするならば、学生の間は『責任』がとれないのでは。(基本的には)親に扶養されており、また、大半の学生は子供を産みたいとは思ってもいないのだから。高校や大学を中退(または休学という手段も無くはないが)してまで、今すぐ子供が欲しいという人は珍しいだろう。
 とすると、少なくとも就職して家族を養っていけるようになるまでは、リスクのある性交をしてはならないといえる。しかし、現実には、そこそこの高校生、大半の大学生カップルは性交経験があるだろうし(恋人のいない場合は全く別として)、周りも、大学生で付き合っているのにセックスもしたことないなんておかしい、という風潮があることは否めない。

 結局は大学生でも中学生でも、『責任』をとることが出来ないという点では、そう変わらない。けれども、中学生では早くて(良いこととされなくて)、大学生ではやってないとオカシイと価値判断が下されるのはなぜなのか。中学生も大学生も変わらないなら、中学生と性交してもいいじゃないか。
 しかし、実際のところ、大学生(18歳以上)との性交は許されるのに、高校生以下との性交は都道府県条例で処罰の対象となるし、13歳未満の場合は問答無用の強姦罪適用が待っている。この差はなんなのだろう。
 大学生と中高生の間にあるのは、『判断力』とそれに対する『責任』である。大学生は自らの考えを尊重されるし、他者の意見に従わなければならないわけではないが、その分『責任』も負う。一方、中高生は親や学校、周囲の年長者の意見に拘束されるが、その分保護もされる。

 畢境『責任をとる』とは、妊娠の可能性そのものに責任を負うということではなく、『妊娠するかもしれないけれども、性交をする』という自らの判断に対して責任を負うということ、なのだと思う。
 しかし、この親御さんの心中察するに、これ以後娘に対して今まで通りの愛情を注ぐことが出来るのだろうか。かなしい



ps 困ったときは知恵袋。