津々浦々にて待つ

思いついた愚痴をうららかに書き始めるから、結びがぐだる

ヒトカガミ

 こんばんは。めっきり寒くなりましたね。唐突ですけど、夏と冬どちらが好みですか?僕は冬のほうが好きです。冬はおしゃれが出来るからとか、雪が好きとかってわけではなく、なんとなく静かで暗い感じがいいんですよね。音楽も映画も本も、少し暗いものが好きなので。

 

 『鏡に写る自我』という言葉をご存じですか。社会学者クーリーの言葉で、つまりは、自分がどういう人間なのかは「他者という鏡を通して理解する」というものらしいです。親に、兄弟に、友達に、恋人に、他人にどう思われてるかによって、自分という人間がどういうものなのか初めてわかる。僕が、自分は賢くて優しくてまじめで、イケメン貴公子だと思っていても、周りがそう思ってくれていなければダメだということですね。

 

 大学生、社会人ともなれば、自分がどういう人間かがある程度わかるようになってくるのでしょうか。いわゆる思春期は不安定で、昔と今は性格が変わってるなんてこともあります。思うに、人が友達を作ったり恋人を欲しがるのは、自分を理解してくれる存在が欲しいから、というのもあるのでは。もちろん、親・兄弟も理解者でいてくれる場合が多いと思いますが、親・兄弟には埋められないものもありますよね。

 では、自分を「理解」してくれるとはなんでしょうか。

 そもそも本当の「自分」とはなんでしょうか。

 僕の好きな漫画で、「モテキ」という漫画があるんですけれど、その最終巻でヒロインが

『本当の私、を理解したなんて思い込みだか思い上がりが嫌なの。そもそも知ってもらいたい本当の私なんてないし』

『100人いたら100人の頭の中で見える私って全部違うのよ。そんなの全部責任持てないわ。どうでもいい』

っていうセリフがありまして(こんなこと言ってかっこつけてるけど、とんでもないビッチなんですよこいつは!)、当時のうぶな僕はチェリーながらに納得してしまったわけです。ある友人には、賢くて頼りがいのある人だと思われてるけど、ほかの友人には馬鹿でおっちょこちょいだと思われてたり。清楚できれいな人だと思っていたけど、下ネタ大好きだったり。結局は、確立した『本当の自分』なんていないのかも。

 とは言っても、さすがにある程度の限度はありますよね。美人な女の子には優しいけれど、男や普通の女には当り散らすような人が、『優しい人』だなんてあまり思われないだろうし、家の外ではいい母親を演じているけど、家では子供を虐待している人が『いい人』だとも思われないでしょう。

 今までは、内面のことについて言ってきましたけれど、外面についても同じようなことが言えます。ある人は可愛いと思ってるけど、別の人から見れば可愛くない、とか。

 

 だいたいまとめると、『本当の自分』はいないのかな、と思いました。それでも、友達や恋人に「本当の自分」をわかってほしいと思うのは、自分の多様な部分をさらけ出したいからでしょうか。外ではまじめ、友達には頼れるやつと思われていても、恋人の前では赤ちゃんプレイをしてたり笑。

 

ps 整形は、本当の自分、かな?笑