津々浦々にて待つ

思いついた愚痴をうららかに書き始めるから、結びがぐだる

味噌汁キャベツ女、便座上げ男

 好きな仮面ライダーはG4です。こんばんは、台風一過ですけど、ちょい風強いですね。休校になったんですけど、惰眠を貪ってました。

 仮面ライダー見たことあります?男の子なら恐らくは見ているはずだと思いますが、僕もそれに漏れず見てました。小さい頃はストーリーとかあまり気にしていなかったんですけど、結構入り組んでて難しい話だったりするんですよね。とくに平成ライダーは。龍騎とか今見てもよくわかりませんもの。昔は、仮面ライダーって悪いヤツを善いヤツがやっつけるっていう話だと思ってたんですけど、よくよくストーリーを見ると案外そうでもなかったりするんですよね(555のオルフェノクの件とか)。つまり、水戸黄門に代表されるような『勧善懲悪』とはハッキリ言い切れないのです。
 そもそも、勧善懲悪の話って最近はそんなに無いような気がするんです。有りがちなのは、悪だと思われていた敵側にもやむを得ない事情が実はあった、みたいな。ちょっとずれますけど、コナンとか金田一の犯人もたいていは理由があって罪を犯すわけで。いや、確かに理由なく悪いことするなんて現実味が無いんですけど、そっちの方が悪がやられたときにカタルシスが得やすいじゃないですか。その点、ネウロに出てきたシックス[絶対悪]は良かったと思います。

 本題。要は、それぞれの立場にはそれぞれのイデオロギーやモラルがあるってことです。今Twitterで話題になっているベビーカーの件(詳しくは自分で見て欲しいです)も、記者はそう考えているし反論している人は別に考えているわけです。別にベビーカーを邪魔だなと思うことは個人の自由ですし、子供のことを考えられない、子供を持ったこともない人間が偉そうなことを言うな、と思うのも自由です。ただ、僕が思うに、記者の側はなんとなく自分の言ってることが叩かれたり、間違っているかもしれないな~と思いながら書いているような気がするのに対して、Twitterで叩いてる人たちは自分の意見こそが唯一解で、それに反することを言うヤツは人に非ず!みたいな勢いだったのがなんとなく嫌だなあと思いました。言ったように、各々には各々の考え、道徳があるわけです。そのことを忘れている人は多いように思います。まあ、偉そうなことを言ってる私もそうなんですけどね!
 
 各々の価値観を尊重していこうという風潮は、意外にも最近出来たもののようです。昔は、社会が小さく(いわゆるムラ)、個人の概念が弱かったからですね。現代自由主義的な多文化社会、昔風の共同体社会。とにもかくにも、今は『個人』を尊重する社会ですから、それゆえに他者に対して寛容でなければいけないと思います。
 で、突然ですが、皆さんは味噌汁にキャベツ入れますか?ウチは入れません。じゃあ、カレーにリンゴ入れますか?ポテトサラダにリンゴ入れますか?カレーとかハヤシライスは、ルーとライスを混ぜてから食べますか?ぼくは、リンゴはどちらにもいれないし、かき混ぜることもしません。あと、昔自宅に人を呼んだときに、コップ(取っ手つきの英語でいうcup)に冷たい麦茶を入れて出したところ、『え?!これ温かいのを入れるやつじゃないですかー』と言われたことがあります。
 どうですか?自分では当たり前だと思っても、周りにとっては当たり前ではなかったり逆もまた然り。まあ、これが便座を上げる上げない程度なら良いですけど、夫の鉄道模型が気に食わないからって全部捨ててしまって離婚されたり、はたまた他の宗教が気に食わないからって戦争をはじめたり。そういう大変なことにならないように祈るばかりですねぇ。

追伸 昔の僕は、飲み物を飲んでるときに『一口ちょうだい』って言ってくるヤツは消えて欲しいと思っていましたが、今は寛容になりました(/▽\)♪

まあ、断る人を『ケチなやつ』とか『心の狭いやつ』と見るか。一口さんに対して『人にたかってばかりで卑しい、気持ちの悪い下錢な愚か者で、きっと家族も貧乏な可愛そうな家に産まれた残念なやつなんだな。そう、こいつがゴミ野郎なのはゴミ自身のせいなんじゃなくて、そんなゴミを生み出してしまった社会が悪い。ひいては、その社会の一員たる自分も悪いんだ。よし、一口くれてやろう』と思うかはあなた次第ですよ(/▽\)