津々浦々にて待つ

思いついた愚痴をうららかに書き始めるから、結びがぐだる

夢買人 beautiful dreamer

 なんだこの行列は?!と思って近づいてみると、『年末ジャンボ最終日で~~す』との声が聞こえた。なるほど、今日は一等前後賞総額7億円?の年末ジャンボの販売最終日なのであった。つたない記憶を辿ってみると、小学校低学年の頃に宝くじを買ったような記憶があるが、それ以降はない。当事は(今も?)一口300円で、なかなか高いものだと思った。宝くじとは損をするように出来ているものだ!と学んだのは確率を習った中学生のころで、それ以降はなんとなく、宝くじを買うのは金の遣い道に困ったものや娯楽の乏しいものがやるものなんだと考えていた。可愛くない子供である(可愛い中学生男子というもの自体が稀ではあるが)。わが家も宝くじを買う習慣はないので、その考えは揺らぐことなく今に至る。
 まさか、本当に当てるつもりで宝くじを買っているものは居ないだろう。ヤミ金に追いつめられてなけ無しの金を宝くじにつぎ込む人は考えられない。宝くじを買う人というのは、ホンの少しの希望を買っている、と思う。当たるか当たらないか、その期待感にこそ価値を見出だしているのだろう。それで、何等かに当たれば儲けものと考える。ただ、ぼくは運をバランスで考える人間、つまりは悪いことがあれば良いことが起こると信じ、良いことがあれば悪いことが起きるかもしれないと思ってしまうので、万が一宝くじが当たった日には怖くて家から出られないかもしれない。
 宝くじをちょっとひねくれて考えてみると、他者を押し退けて自分が利を得るイベントではないだろうか。自分はたまたま当選して、他の人は単に損をして終わる。自分さえ良くて、他人はどうでもいい。宝くじを買う人は何となくそう思っているのだろうか。
 まあ、それは冗談として、僕は宝くじにそれほど興味を抱かない人だが、何も宝くじを否定しているわけではない。むしろ、良いものだと思っている。国が公認で賭博を管理することで、ガス抜きにもなるし悪いことも起こりにくい。それに、宝くじの余剰金によって施設や橋が作られたりして一種の再分配になっていると思う。良いことである。
 そうそう、宝くじといえば、昔足立区の図書館でたまたま手に取ったSF短編集の中に、宝くじにまつわる話があった。その話では、宝くじの賞品がお金ではなく寿命なのである。70歳になると何処かの施設に連れていかれてしまうという設定で、宝くじに当選すると幾年かそれが延長されるというシステムだ。なかなか面白かった思い出がある。さらに話がずれるが、同じ短編集のなかに、当事の僕に衝撃を与えた作品があった。ぜひ興味のある方は読んでその感想を聞かせてほしい。『電話が鳴っている』とかそんな題名。
 にしても、宝くじ売り場の行列が凄かったので、こんなにも宝くじを買う人はいるのか~~と軽くカルチャーショックだった。僕もお金に余裕が出来たらチャレンジしてみようか。


追伸 当たったらバイクがほしいです。あと、車。er4nとレガシィb4ください。